Sunday, August 30, 2015

花も実もない人生だけれど

く「犬死さんなんでも出来てすごい」と言われる。
たしかに、自分はわりと器用に何でもこなすけれど、別にすごくはない。エンジニアリングでも何でも、もっとすごい人は山ほどいる。自分は、ただ、目の前で必用だったことと、必要十分になるようにこなしてきただけで、その必用なことというモノが、他の人と違っただけだ。

べからず人間には、同じ時間が与えられている。私の10分も、ザッカーバーグの10分も、等しく同じ10分間だ。では、同じ10分を過ごしていて、なぜ私は私で、ザッカーバーグではないのかといえば、答えはシンプル。それぞれ、別の10分間を過ごしているからだ。ザッカーバーグが密度の濃いビジネスを行っている10分に、私は漫画や小説を読んでいるかもしれない。私が仕事に打ち込んでいる間に、ザッカーバーグはビールを飲んで酔いつぶれているかもしれない。
過去に遡れば、ザッカーバーグはハーバードに在学していた22才の頃にfacebookを立ち上げた けれど、私の22才の頃は、独立して未だ駆け出しで、右も左も分からずに暗中模索の毎日だった。
そして、私と同年代の人は、大学に行っていたり、ピカピカの新社会人として過ごしていたかもしれない。 

の20代は、白も黒もないグレーな世界だった。世界にインターネットが突然現れ、 文字通り、法的に白も黒も判別の付かない世の中だった。そんな中で、高校中退でコネもキャリアも知識もない自分が生きていくために、目の前に糊口をしのぐ仕事があれば、無条件に掴んで、掴んでから泥縄に、それに必用な知識を身に付けた。突如世界に出現したインターネットには、先生も先人もいなかった。こうして、私の10分間は「誰かに習って出来る事をする」10分間から「自分で調べて身につける」10分間に変わった。

 これは、良い事とか悪い事とか、そういう話ではない。私は、誰かに習う事を放棄して、海に出る人生を選択した。賢い人は、習う人生で基礎を固めてから海に出る。そうすれば、羅針盤の使い方も天候の読み方も知ってから航海に漕ぎ出す事ができる。私は、それをしなかった。ただ闇雲に道具だけ持って海に出て、その場その場で必用なことを調べながら航海を続けているのだ。ただただ、効率の悪い航海。きっとこれで、私は他の人よりも、10年は出遅れている。つまり私の今通っている場所は、同年代の他の人が10年前に通った場所なのだ。

そんな生き方でも、一つだけ良いことがあった。進み続けなければ死ぬ人生を選んだことで、私は、 物事から逃げなくなった。否応なく逃げられなくなった。全て自分で選択してきたことだから、全ては直接的に自分の責任になる。何の言い訳もできない。
高校を中退したから、高卒と同等の資格を取った。
大学に行かなかったから、大学で習う教科書を読みふけってきた。
いつかは大学に行って、帳尻を合わせようと思う。
仕事も、ゼロから全て自分でやらなければならない。企画や分析から始まって、実装も運営も、全て自分でやる。やらざるを得ない。お金にならないうちは、無条件でリソースを提供してくれる人など滅多にいない。だから、稼ぐためには、仕事に必用な全てを愚直に身につける以外に道はなかった。

でもできるわけではないし、何でも知っているわけでもない。
ただ、やれることや知っていることが、他の人より多いだけで、その理由も、高潔な好奇心や勤勉さからくるものではなく、ただ、やらなければ死ぬから、という、極めて純粋な市場原理に基づいた、自己中心的な理由から由来するものなのだ。

大人はよく子供に「勉強しなさい」という。
その意味を、本当に理解している大人は、どれだけいるだろうか。
その本当の意味は、勉強をしていれば世は事もなし、ということではなく、勉強をしておかないと、いつか知識が必要になった時に、その綱渡りから足を滑らせて死ぬ、という事だ。

今の私は、私のようなボンクラが、死なないように生き残ってきたことの、あたりまえの帰結なのだ。

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